「雪の秋田の熱い冬」がやってきた。
全国唯一のモダンダンスのみのコンクール、ここから数々のスターが巣立っていったのは、皆さんもご存知だろう。
今年も多くのダンサーが夢を求め参加し、明日へと羽ばたいていった。
望んだ結果を得られずとも、本番の日までの時間をどう過ごしたかがとても大切であり、そして、これから過ごしていく時間の使い方もとても大切であり、その歩みは100人いれば100通りある。
日々の鍛錬を大切にし、素晴らしい舞踊人生をおくっていただけることを願っている。
ジュニア1・2両部門は、毎年新鮮な気持ちで迎えている。
その出演者の個性を十分に引き出し、指導されている先生方の想いが伝わってくる作品が数多くあった。
身体能力の高さに表現力が加わり、子供の瞳が真っ直ぐにこちらを向き、語りかけてくる。その子の舞踊に対する真摯な想いが 心に響くものである。
群舞部門の参加者は子供から大人までおり、群舞という枠で審査する難しさがある。
作品を見せていくということは、技術であり感情であり、今という時間であり、自分の思考を見せていくということだ。何についてどう語り、どう表現方法を選んでいるかが創作をしていくということであり、それは子供も大人も関係ない。技術やダンサーとしての本来の形を超越しながらも、作品として、とことんこだわり抜くことが、見ている者に説得力を与えるのであろう。
だが、「それらしい」と「思考している」は、別の話だ。それが少し残念かもしれない。
シニア部門にはある独特の雰囲気があり、成熟を重ねたダンサーから、駆け出しのダンサーまで広く集まっている部門である。
各コンクールが多様化されていくことで、審査員の主観により、大きく順位の変動していく昨今、各々のコンクールで上位にいくメンバーが固定化されつつある。それを良しとするか、悪しとするかは別の話として。
どのコンクールでも上位にいくような単一性のあった時代とは明らかに変わってきたことだ。
ならば、言い方は悪いが「おらがコンクール」の1位という、オンリーワンがとても大事な時代になるのだろう。
あきた全国舞踊祭があらたな局面に入ってきたことだ。
終りに、
舞踊という表現方法を選んだ皆さんに、喜び悲しみetc、すべてにおいても見るものを納得させる作品を期待してやまない。
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