このコンクールを初めて審査したのは2001年(第20回)。それまでにも国内外の様々なコンクールの審査、取材の経験はあったが、秋田は訪れるのもそのときが初めてだった。
コンクール前日の朝一番の飛行機で秋田入りし観光、打ち上げの翌日は温泉につかり最終便で帰った。はじめての秋田を満喫。その思い出は色々ある。生まれて初めて食べたハタハタや、いぶりがっこの美味しさ、秋田温泉のすばらしい湯質などなど。だが、もっとも強烈な印象を残し、いまでも鮮明に覚えているのはジュニア1部で優勝した少女の演技だ。はじめは小柄な少女の可愛らしさを楽しんで見ていたのだが、その深みのある演技に心を動かされた。秋田で出会った忘れられない少女=それが水野多麻紀だった。
その後「冬の秋田」は恒例となった。翌年も水野はジュニア1部で優勝、そして2008年、第27回、私にとって8回目の秋田、ジュニア2部の結果が出た後の審査員控え室では、「タマキちゃん、良かったね~」という声が飛び交った。ジュニア2部で水野が優勝したのだ。当時の「あきたモダンダンス新聞」にも書いた記憶があるが、それまで真剣な面持ちで審査表をチェックし、入選数などを確認しあっていた審査員が、会議が終わると途端に「タマキちゃん」の親戚のオバサン、オジサン風になった。私は秋田のコンクールがさらに好きになった。
今回、水野はシニア部門でグランプリを受賞した。審査員控え室では「タマキちゃん、立派になったね」「素敵なダンサーになったね」という会話で盛り上がった。が、今回は「成長を喜ぶ親戚のオジサン、オバサン」という風とは少し違った。自分たちが見つけた才能が、見事に開花したことに対しての感動とともに、もはや少女ではないプロのダンサーへの高い評価の声だった。
さて水野が踊った『夢を孕んだ微酔』の指導者は富士奈津子。やはりジュニアでも優勝、シニア部門でもグランプリを受賞している彼女と水野の出会いの場が秋田だったのかどうかは知らない。だが、秋田は、二人にとっての重要な場所のひとつではあろう。
大きな枕を手にしての登場から見る者を一気に舞台に引き込む水野の存在感が凄まじい。夢を見ているような、夢に追い立てられているようにも思える動き。大きなジャンプからの枕への着地はスリリング。このような高度なテクニックを可能にしているのは枕だ。小物使いの巧さは、富士の師であり母である金井桃枝からの流れである。回転にもジャンプにも意味を持たせ、それを見るものに感じさせるプロの演技。衣装のセンスも良かった。
同じく富士が指導し、自身と水野らが出場した群舞部門でも彼女らは最優秀賞を獲得した。メンバーは二人に加え、このコンクールの常連ともいえる美しいダンサー新保恵、さらに今回ジュニア2部2位の鳥海夏椰子と3位須崎汐理。金盥(カナダライ)と傘と青い頭巾。小物使いは絵画的にも面白い。盥に雨音が響き、スタイリッシュだがどこか懐かしさを感じさせる物語。富士の緻密な構成・振付を最強メンバーがきっちりこなしていた。
水野の最初の師である彼女の母、水野聖子は今回、ジュニア1部門でも1位2位を輩出し最優秀指導者賞に輝いた。『Sanctuary~聖なる光~』を踊った1位の平岩花萌、『青い風の詩』を踊った2位の井上萌美とも動きが美しく、踊りに対するひたむきさが訴求力となっていた。それは初めて見たときの水野多麻紀の印象にも通じる。
ジュニア2部の優勝は、昨年この部門3位の有明歩。手足が長く、体のラインが美しい。『森の人』という作品は森の清らかさを描くとともに自然破壊への警鐘も感じさせる。それを素直な動きで良い意味で淡々と演じた。昨年、私はこの欄で彼女について「あとひとつの元気があれば印象がぐっと変わったように思う」と書いた。今年も同じような思いを抱いた。それは言い換えれば、まだ彼女は実力をすべて発揮していないのではないかと思わせる何かを感じるということ。彼女もまた、見続けたいダンサーだ。
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