雪の秋田で続けられてきた《あきた全国舞踊祭》の熱いモダンダンスのコンクールは、すでに30回を超えた。日本ばかりか世界への登竜門としての数々の実績を残してきたにもかかわらず、ここでは海外からの直輸入のダンスの技術よりも、戦前から培ってきた日本スタイルが、いつも主流を占めてきた。
今回のシニア部門は、川村泉門下の伊藤有美が踊った『飛蝗と風』がトップ(グランプリも)に立ち、第2位には、湯原園子門下の小室眞由子が踊った『一瞬のうつろい水面』、第3位には、原島マヤ門下の北野友華が踊った『Last Flower』が続いた。グランプリの伊藤は、エコロジカルなテーマをさらりと踊り、日本らしいモダンダンスの良さを示した。2位の小室も3位の北野も、そのテーマに日本の自然を選んでいた。
日本のモダンダンスは、秋田生まれの石井漠による『日記の一頁』帝劇上演1916年)から始まる。そこで彼は「憧憬の世界を超え、法悦の座に達する」という日本人の気持を踊りにした。これが記念すべき日本最初のモダンダンスなのだ。
それ以後、日本のモダンダンスは、海外の動向には敏感ではあるものの、向こうのものをそのまま取り入れるということはせず、いつの間にかたくみに「日本化」を果たし、今に至っている。仏教も日本に入ってくると、インドで生まれたものとはだいぶ様子の違うことになった。また洋食のパンに、純日本製のあんこを包み込んでアンパンを作ってしまう。これが日本のやり方なのだ。その日本流が《あきた全国舞踊祭》のモダンダンスのコンクールでもみごとに踏襲されている。
シニアの第4位には『目覚めよと叫ぶ声がきこえる』を踊った大前光市が入った。彼は事故で片足の膝から下を失いながら踊り続けてきた。その椅子を使っての演技には息をのむほどの迫力があり、見る者の心を打った。この秋田のコンクールには、参加者たちの世話をするスタッフ陣が自由に選ぶ「あきたこまち賞」というユニークな賞がある。それに選ばれた大前は、エキシビション公演で再度踊る機会を与えられ、しばし鳴り止まない拍手の嵐に包まれた。片足が短いことが障害ではなく、それが彼のすばらしい個性となっていること、彼が自分の条件と闘ってそれをかち取ったことに観客は素直に反応し、声援を送ったのだ。
ジュニア一部(小学生以下)にも、ジュニア二部(中高生)にも、日本の自然の美しさを描いたダンスがずらりと並んだ。それらにはどこか日本舞踊に近い質感があり、日本画や俳句の世界とも重なる。自然と共生する感覚が秘められていたように思う。
このコンクールでは、ソロ以外はすべて群舞という決まりを作り、舞台に出てくる人が2人以上のものを群舞部門にまとめて審査して順位をつける。ここには年齢による区分はない。エントリーされた15曲の中で、最優秀群舞賞に輝いたのは高橋裕子門下の『白い闇』だった。そして優秀群舞賞には木原創・木原友里門下の『ムンクの叫び』、昨年から新設の横山慶子奨励賞には、岡田香門下の『小人の住む村』が入った。
群舞部門でもモダンダンスの「日本化」現象がつらぬかれていた。『白い闇』のダンスと特異な道具を組合わせた、どこか歌舞伎舞踊を思わせる場面の作り方、『ムンクの叫び』の、絵画の中の人間を動かす文楽に通ずる感覚、『小人に住み村』の童話の世界は、日本古来の伝統芸能とどこかでつながっていたのではないか。このコンクールの審査にあたった我々も、それぞれ日本人の感性に従い、舞台の中に広がる自然豊かな世界に親しみを感じつつ、これらに高い点をつけたのだ。
この秋田のコンクールでは、直後にエキシビション公演があるので、上位入賞作品をもういちど見ることができる。受賞者として舞台に立つダンサーたちの演技はいかにも誇らしげで、緊張から解き放たれ、筋肉をのびやかに躍動させるダンスは、何ものにもかえがたい魅力あふれるものばかりだった。我々審査員も、どれが上位に入るのかわからずに自分の感覚だけを頼りに点をつけていた孤独な状態から自由になり、観客と共にそれらの踊りを心の底から楽しんだというわけだ。
それに加えて、前年のグランプリ受賞者の船木こころ、最優秀群舞賞の富士奈津子と林芳美が登場し、1年の成長ぶりを見せてくれた。彼女たちを選んだことが間違いでなかったことを目の当たりにして、私はその輝かしい未来を色鮮やかに心に描くことができた。
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