この度は身に余る賞を頂き誠にありがとうございました。
今でも実感がなく信じられない気持ちでございます。
富山で生まれました私は5才の時にダンスと出会い、上京するまでの13年間清水美和子先生の元たくさんの舞台に出させていただきました。
そんな中清水先生の紹介で小学校4年生の時に母親と2人で神奈川にありますスタジオへ井上恵美子先生のレッスンを受けに行きました。
その時の出会いがまさかここまで続くとは夢にも思っていませんでした。
高校生になってからは月に1度飛行機に乗りレッスンを受け夜行バスで帰るという生活が始まりました。大変な時期もありましたが、どんなに雪が降った日でも送り迎えをし、いつでも協力してくれた両親には感謝してもしきれません。私にとってこの3年間は本当にとても貴重なものになりました。
高校を卒業した私は足を踏み入れたことのないコンクールという場に大人になってから本格的に挑戦し始めました。その中で1番最初に母親と参加したコンクールが4年前の秋田コンクールでした。右も左もわからないまま参加した私は、母親とエキシビションを見ながら『いつか照明がついた中、たくさんの人に自分の作品を見てもらいたい!』と思ったのを今でも覚えております。
あれから4年。怪我をしたり悔しい思いをしたり、時に踊りに対して迷う時期もありましたが、「どんなときでも続けることが大切」とおっしゃる井上先生の言葉に何度も背中を押され、創り続けていくうちに今回の『蝉、刻々と』ができました。
東日本大震災で多くの方が亡くなったニュースが連日報道される中で、命の儚さ・尊さを考えさせられました。そこで、『蝉』からヒントを得て、命あるものは必ず刻々と死に向かう様をテーマに創作して参りました。たくさんの方が被害に遭われた中、自分は今何をすべきか考えました時、何不自由のない生活を送っている私は、作品と真剣に向き合い踊りたくても踊れない方の分までただただ精一杯踊ることだと思いました。
そんな中での受賞でしたので、これを励みにいつか自分の踊りが何かの役に立つと信じて日々精進していきたいと思います。
最後に、今まで辛い時も一緒に乗り越えてきたスタジオの仲間・優しい先輩方・何も言わずどんな時でも応援してくれるかけがえのない家族・そして上京後時に親以上に叱り愛情を持って踊り以外のこともご指導くださいました井上恵美子先生。何度ご心配おかけしたかわかりませんが、これからもこんな私ですがどうぞ末永く宜しくお願い致します。
本当にありがとうございました。
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