〈あきた全国舞踊祭−あきこん−〉所感

馬場 ひかり
舞踊家
(東京都)
肖像

今年も、ますます熱く、あきた全国舞踊祭が開催されました。
公演「會ら」のプログラムは、豪華な顔ぶれによる、より充実したものとなり、多様な舞踊の素晴らしさを堪能しました。ワークショップも含め、主催者、川村泉さんの企画力のすごさを再認識しました。

コンクールは、まず、全体にレベルの高さに驚きました。 当然のことながら、審査員として採点する者としては、優秀な多くの作品を観ることの喜びとともに、数字で評価しなければならないことの苦しみとで、大変です。舞踊は、数字に表せない部分がたくさんあるからです。コンクールですから、公平な目で見た結果を客観的にあらわすのには、数字しかないのですから、仕方のないことなのですが。
高度なテクニックと豊かな表現力は、大きな審査の観点ですが、衣装、音楽も重要な要素です。振付は、ダンサーの資質に合ったものでなければいけません。
その視点から見ても、優劣つけがたい場合、1点、2点の違いを何が決定するか、私なりに考えて見ました。 私の場合、究極、その踊り、踊り手が魅力的か、と言う問題になります。誤解を招かないように、言いますが、ただの好き、嫌い ではありません。もちろん「魅力」は、主観的で、人によって何が魅力的かは違います。当たり前ですが、容姿の美しさや、テクニックの有無を超えたものが、「魅力」で、観る者に訴えかけてくるものは、言葉や数字で表せるものではないのです。うんと美しいモノ、可愛いモノ、面白いモノ、グロテスクなモノも、時に魅力になります。非科学的なアプローチのようですが、舞踊のコンクールでは、総合的に判断しながら、最後に、魅力があるか、ないかが問われます。プロの眼で観るということは、いろいろな経験に基づいた知識、頭を使いながらも、心と身体で観ているということです。 3分、4分の中に、いろいろな物が見えてきます。 実際、魅力的な踊りは多数ありましたが、そうでないものは、なぜかと言うと、具体的には、呼吸のない踊りは、輝きが見えない、形態美に終わってしまう踊りも、心に響かないからです。

今回のコンクールで感じたのは、この多様性の時代に、トレンド、評価されやすい踊りのようなものを意識しすぎることは、正直、もう違うのかもしれないということです。 身体を鍛え、訓練し、たくさん稽古して、完成させた作品を踊ることは、大事なことで、それができているか、人間としてどう生きているか、何を考えているか、全部、踊りに現れるのが、舞踊です。それを踏まえた上で、思い切り、自分らしく、そして、自己の向上を目指して、コンクールに挑んで欲しいと思いました。
舞踊の勉強は、終わりがありません。結果に関わらず、一生学んでいき、いろいろな表現で、踊り、それを楽しんで欲しいと思います。

これからも、このあきこんが、益々発展し、パッションのある舞踊家が集う舞踊祭であることを願っています。皆様、お疲れさまでした。


> Press75へ戻る ▲TOPに戻る
Update:2023/12/19  

© 2023 akicon.net